2007年6月8日金曜日

最近、大規模障害のニュースが多い気がする

http://enterprise.watch.impress.co.jp/cda/ohkawara/2007/06/08/10419.html
全日空のシステム障害などに見る、情報産業とユーザー企業の課題

システムトラブルが社会問題として取り上げられることが多くなったように感じる。みずほ銀行の合併に伴ったシステムトラブルやみずほ証券の誤発注も記憶に新しい。社会基盤としてのITシステムやインフラがその重要度を上げれば上げるほどこの手のトラブルの影響は大きくなるし、報道等で取り上げられる機会も増していくのは当然のことだ。JISAに指摘されるまでもなくユーザー企業もベンダーも費用対効果のトレードオフについて十分な検討が必要なことは百も承知だろう。だが真に的を射た検討を積み重ねるという事が困難きわまりない茨の道であるのも事実だ。
ユーザー企業側も自社システムの導入に対して一枚岩であるわけではない。該当部署やIT、購買など各部署間での温度差や要求の違いがベンダーやコンサルタントの軸をぶらし、またそれがユーザー側の混乱や無茶な要求を蔓延させていく。一度始まったネガティブフィードバックはそうそう止められるものではない。
BCPの構築はさらに困難を極める。ただでさえ予算を取りづらい案件である上に、基本的には本稼動しているシステムとほぼ同等の物をずっと安いコストで提供するように求められるからだ。もちろんベンダーとしてはそのまま呑むわけにはいかないのでシステム容量を大幅に削ったりインターフェースを単純化したりといった矮小化を行なうしかない。結果、まさかのときにも役立たずなカッコだけBCPをでっち上げてしまったりする。
信頼性や機能を確保するために湯水のようにコストをかけられるわけではない事も十分承知しているつもりだが、ある程度のコストをかけなければ必要十分な信頼性と機能は担保できないのだ。そういう点ではJISAの指摘は正しいといえる。
しかし、いくつかの点で少し気になる部分がこの記事の提言に含まれていた。

>>日本の企業が導入している情報システムは、大変緻密であり、完成度も高い。日常的な不具合を感じることがなく運用できる。だが、一度問題が起こったときには、手の施しようがない。これに対して、海外の企業が導入している情報システムは、ぎくしゃくした運用環境であっても、なにかあったときには、なんとかなるという場合もある。どちらを選択するのか。これは、社会的な選択といえるもの

はっきり言ってこれは詭弁だ。一度問題が起こると手の施しようがなくなるようなシステムを完成度が高いなどとは噴飯ものだ。海外企業が導入しているシステムをギクシャクした運用環境となじってみせ、どちらを選ぶかは社会的な選択と結論付けるにいたってはまさに手の施しようがない。ここから先はわたしの想像に過ぎないが、おそらくこの人の言いたい事とはこうだろう。「日本製のシステムはユーザーのわがままや思い付きにすべて答えて作りこんだ云わばテーラーメードで完成度が高い。コードの職人芸的緻密さはスパゲティーのよう、いやいやとっても緻密ですよ。海外製品のようなお仕着せのシステムでユーザーのわがままを聞いてあげようと思ったらギクシャクした運用になっちゃいますね」

まあともかく、
ユーザーがわがまますぎること/IT部門がユーザーの下僕になってしまっていること/購買も含めてコスト削減に過度に行き過ぎること/ベンダーがパッケージ化の努力を怠ってユーザーに迎合しすぎること(そうせざるを得ない悲哀は分かるけどね)
毎回この手の問題を考えるに当たって行き着くさきは、とにかく! ITさん頼むからしっかりしてくれって話に落ち着くんだよね~